こちらの記事に触発されたので、大人が学ぶことの意味について考えてみたいと思います。
「大人になっても勉強するなんてみっともないことはやめなさい」という記事に感銘を受けました - 僭越ながら
「勉強」というと受験勉強みたいな感じなので、「学ぶ」ということにします。
多分ですが、受験勉強みたいな感じがあるから「勉強する」というのは「バカにされる」ところがあるのでしょう。
あと、上のブログ記事で言及されている「クーリエ・ジャポン」の記事は、まだ読んでいません。
なぜ学ぶのか?
それは、人それぞれということがまずありますよね。好きで学ぶ、学ぶのが楽しいから。
そういう理由もあると思います。学ばない自由もあると思います。
ただ、学ばなければ、新しいことをできるようにはなかなかならないでしょう。
今までの延長上で良ければ学ぶ必要はないかもしれません。それでも、周りは変化していきますから、現状維持をするにも新しいことは必要になってくるでしょう。
なぜ体系的に学ぶのか?
体系的というとどういうこと?ということになると思うので、要は、全体を知って、部分を知るということだと思います。上の記事で、ドラッカーの例があげられているように、経営を学ぶにあたってドラッカーは代表的なところですが、すべてではない。
部分だけをわかっても、全体はわからない。全体がわかっていれば、どこが大切でどこが大事ではないかがわかる。
鳥の目、虫の目という話がありますが、鳥の目を得るために、全体を学ぶ、体系的に学ぶことが必要ということですね。そう考えると、たとえば歴史をそれなりに知っておくというのは大切なわけです。人類の歴史がわかっていて、つまり時間軸の全体がわかっていて、今どうなのか、そしてこれからどうなるのか、を考える。
今だけで考えるのとは、違ってきますから。
では、改めてなぜ学ぶのか?
・好きで学ぶ
・ビジネスのために学ぶ
・人類の発展のために学ぶ
これらはそれぞれ微妙に目的が違うのだと思います。そして、「勉強する」と言っていると、知って終わり、満足という感じがあります。
ビジネスで成果を上げるためと言っていると、功利的、自分のためにだけ勉強していると思われるところもあるのでしょう。
人類の発展のために学ぶと言うと、高尚な感じもします。
全部あると良いのではないかと、わたしは思っています。
学ぶことが楽しいから学ぶ、ビジネスで成果を上げたいから学ぶ、人類にも貢献したいから学ぶ。
自分なりの理由を持つ
わたしは全部あると良いと思いますが、人それぞれ選ぶと良いですよね。学ぶ自由があると思うので。
でも、学ぶことをやめるか、勉強するということをやめるかというと、わたしはやめないでしょうね。
そんなことも言いません。
何より新しいことを学ぶことは楽しいですし、それがさらに仕事や他の人の役に立てばうれしいですから。
学ぶことは手段だけれども
勉強をやめようとか体系的に学ぶとか、それは手段や方法ですよね。
別に学ばなくても、幸せなら良いのではないでしょうか。
ただ、学ぶことが楽しくて、さらに自分のため人のためになりそうだから、「勉強する」。
知識がなくても、自分も楽しくい続けられて、周りにも「貢献できる」。そういう方法があるなら、それでも良い。
「知識がない」と「バカ」と言われるかもしれませんが、それでも、学ばなくても幸せをずっと続けられるのであれば、それもありだと思います。
ただ、歴史を見ると、やはり学ぶことが大切なように、わたしには思えます。
先人の「知恵」があるから、今のわたしたちの生活がある。
ネットやパソコン、スマホなんて、まさに、「知恵」の結晶でしょう。
だから、そうやって体系的に学んだ「大人」は、「勉強しない」なんて言わないのではないでしょうか。
「勉強」していく中で、そういうことはわかっていくものだろうと思うので。
ということで、これからも、体系的にも雑学的にも学んでいきたいなと思うのでした。
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