挑発してくる人。そういう人はいますよね。
そういう人に、なぜ反論したくなるのでしょうか。
これが決定的な答えだと言いたいわけではまったくないですが、少し考えたくなったので、考えながら書いてみようと思います。
正論を言いたい
正しい or 間違っている。
そういうふうに世界のことを認識していると、間違っていることを正したくなる。
正しいことを言いたくなる。
間違い探しというクイズがありますが、あれと同じ感覚かもしれません。
「正しくない」と気持ちが悪いから、どうしても指摘したくなる。正したくなる。
机の配置がズレていると、正したくなる。そんな感覚から、正論を言いたくなる。
もしくは、正義感から来るものもあるかもしれません。
間違っていると言いたい
正論を言いたいと似ていますが、相手が間違っていると言いたい。
そういう欲求もあるかもしれません。自分が正しいかどうかは置いておいても、相手は間違っている。
だから、それを指摘したい。
放って置けない
放って置けない。
上の2つもそうですが、そういうことを見ると、放って置けない。
極端になると、放っておくのは、悪いことのように感じる。そういうこともあるかもしれません。
脅かされていると感じるから
批判や否定をされると、自分の存在が脅かされていると感じることもあるでしょう。
「この点について間違っている」と言われても、部分ではなく自分の存在自体が間違っていると感じてしまう。
そうなると、存在が脅かされていると感じて、反論しないわけには行かなくなってくる。
黙っていると、相手はさらに口撃してくるかもしれません。だから、反論する。
このあたりの攻撃してくる人はどういう人かを知りたいなら、こういった本を読んでみると良いでしょう。
さらに言い返したいなら、こちらが参考になります。
『賢く「言い返す」技術』で攻撃的な人・迷惑な人への対処法を知る【書評・感想】
スルーできないこと
他にも、挑発などに乗ってしまう理由などはあるでしょう。
そして、人には、それぞれスルーしにくいことがあるのだろうと思います。
それが、何かは人それぞれですが、東京に住んでいる人が、東京はダメだと言われれば、気になる。
そういうことはあるのでしょうね。
属性で批判されても大丈夫という人でも、あなたの行為や性格はここがダメだと言われれば、スルーできないかもしれません。
協力するつもりがある人と仕事などはしたい
と、挑発に乗ってしまうのは、こういった理由や他にも理由があるのでしょう。
いつでもスルーすることが適切かどうかはわかりませんが、否定や批判に時間を使うのは、結局時間の無駄になることが多いなと感じています。
あまり「創造的な批判」になることは多くない。批判が有意義なことを創造することはあまり多くないし、そう感じるので、わたしはたいてい挑発や批判や否定はスルーしてしまっていますが。
わたしも、昔は、挑発してくる人には、挑発し返したりもしていました。そうすると、相手が自分のやっていることや言葉の意味を理解できるかなと思っていたのですが、たいていわからないです。
自分から挑発してきたり、否定してきたにも関わらず、「なんで否定するんだ?」となることが多いですね。そちらから始めたのだよね?と思うのですが。
時間が無限にあるのなら、こういうやりとりもありかもしれませんが、命は有限なので、スルーして、もっと創造的で意味のあることに時間を使いたいと、今は考えています。協力するつもりがある人と、仕事などはしたほうが、出てくる成果やアウトプットの価値は全然違って来ますから。