『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII』を読みました。『嫌われる勇気』の第二弾です。アドラーの教えについて、哲人と青年が対話していく、というものです。本書のテーマは、タイトルにあるように幸せです。そして、『嫌われる勇気』でも出てきていた「共同体感覚」についても、さらに詳しく書かれていますし、自立や愛についても書かれています。『幸せになる勇気』を読んでの感想を書いておこうと思います。
◆ミリオンセラー『嫌われる勇気』待望の続編! ◆
3年ぶりに哲人を訪ねた青年が語る衝撃の告白。
それは「アドラーを捨てるべきか否か」という苦悩だった。
アドラー心理学は机上の空論だとする彼に「貴方はアドラーを誤解している」と哲人は答える。
アドラーの言う、誰もが幸せに生きるためにすべき「人生最大の選択」とは何か?
貴方の人生を一変させる哲学問答、再び!
これが哲学なのか、心理学なのか。そういうこともありますが、またしても、青年が、哲人に「食って掛かって」いきます。青年は教師になり、学校の教育の現場で「アドラー心理学」が通用しないことに腹を立てて、アドラーを捨てるかどうか、という話を哲人に「ふっかけていきます」。
青年は、『幸せになる勇気』でも、『嫌われる勇気』と同じように、「劣等感」からか対話を挑んでいきます。しかも、アドラー心理学が間違っているというだけではなく、哲人にアドラーについてのことを語らせることもやめさせようとしています。
【感想】『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII』岸見一郎,古賀史健
目次
第一部 悪いあの人、かわいそうなわたし
第二部 なぜ「賞罰」を否定するのか
第三部 競争原理から協力原理へ
第四部 与えよ、さらば与えられん
第五部 愛する人生を選べ
『幸せになる勇気』の目次です。ここからある程度、わかる人は内容がわかるかもしれません。
悪いあの人、かわいそうなわたし
「哲人 この三角柱は、われわれの心を表しています。いま、あなたの座っている位置からは、三つある側面のうち、二面だけが見えるはずです。それぞれの面になんと書かれていますか?
青年 一面には「悪いあの人」。もう一面には「かわいそうなわたし」と。
哲人 そう。カウンセリングにやってくる方々は、ほとんどがこのいずれかの話に終始します。自身に降りかかった不幸を涙ながらに訴える。あるいは、自分を責める他者、また自分を取り巻く社会への憎悪を語る。」(p.70−71)
三角柱に、3つのことが書かれていて、そのうちの2つは、「悪いあの人」、「かわいそうなわたし」と書かれているということです。
カウンセリングに来る人は、相手が悪い、自分はかわいそう。「被害者」は自分ということでしょう。相手を責めることになる。不幸なことや嫌なことがあると、自己正当化したくなる。
こうすることで、ある意味安心したいのでしょうね。
このあたりは、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を読んでみると、より理解しやすくなるでしょう。
問題があるとわかっていないことは、大きな問題『自分の小さな「箱」から脱出する方法』
自分が正しく、相手が間違っている、とどうして考えてしまうのか? 本書『自分の小さな「箱」から脱出する方法』は、「自己正当化」という話が、テーマの一つになっています。 自分が正しく、そして、そうなると、相手が間違っている。こういう考え方をどうして人はしてしまうのか。 それは、本書によれば、「箱」に入ってしまうから。箱とは何か、どうして箱に入ってしまうのか。
問題があるとわかっていないことは、大きな問題『自分の小さな「箱」から脱出する方法』 - ビジョンミッション成長ブログ
自分の小さな「箱」から脱出する方法 [ アービンジャー・インスティチュート ](楽天ブックス)
これからどうするか
そして、三角柱のもう1つの面には、こう書かれているということです。
「青年 ・・・・・・「これからどうするか」。
哲人 そう、われわれが語り合うべきは、まさにこの一点、「これからどうするか」なのです。「悪いあの人」などいらない。「かわいそうなわたし」も必要ない。あなたがどんなに大きなことを訴えても、わたしは聞き流すだけでしょう。」(p.73)
過去は変えられないからということもありますし、今どうするかでもあります。
これからのことを考える。大切ですよね。
だから、わたし、個人としては、未来を考えて、ビジョンやアクションプランを考えることが大切だと思っています。ビジョンを見つけたい方は、以下よりどうぞ。
ビジョンの描き方。ビジョンを描くには? | ミッションビジョンアクションブログ
なぜ「賞罰」を否定するのか
次は、やはり「褒めない、叱らない」という話です。
褒めるもいけない、叱るもいけない『嫌われる勇気』自己啓発の源流「アドラー」の教え
条件付けにならないように 褒めるも叱るも、ある点において「条件付け」と同じことなのではないかと。 それは、操作することが含まれてしまう。 そういう関係を築きたいのかどうか。そこで使う言葉も変わってくるのだと思います。 褒めるでもなく、叱るでもない。
褒めるもいけない、叱るもいけない『嫌われる勇気』自己啓発の源流「アドラー」の教え - ビジョンミッション成長ブログ
アドラー心理学、『嫌われる勇気』で、わかりにくいことの一つは、ここではないでしょうか。「褒めない、叱らない」。そして、では、どうすると良いのか。ここもわからないことかもしれません。
「哲人 生徒たちが語っている「彼がこんなことを言った」「こんなひどいことをされた」という喧嘩の理由。これを三角柱で考えてみると、けっきょくは「悪いあの人」と「かわいそうなわたし」になっていませんか?
青年・・・・・・ええ、まあ。
哲人 あなたは生徒たちに「原因」ばかりを聞いている。そこをいくら掘り下げても、責任放棄と言い訳の言葉しか出てきません。あなたのやるべきことは、彼らの「目的」に注目し、彼らと共に「これからどうするか」を考えることなのです。」(p.111)
褒めるでもなく、叱るでもなく、これからどうするかを考える。これが、一つの指針ということですね。一緒に考える。こういうことができると違ってきます。
相手がどうしたいのか。それを聞いたうえで考える。
原因を掘り下げても、過去の話にしかならないというのはありますね。これからどうしたいのかを考えたら、未来のことを考えることになって、これからのことを考えられます。 褒めるのでもなく、叱るのでもなく、どうしたいのかを考えていくということですね。
愛する人生を選べ
「アドラーの語る愛はまったく違うものでした。彼が一貫して説き続けたのは能動的な愛の技術、すなわち「他者を愛する技術」だったのです。
青年 愛する技術?
哲人 ええ。この考え方を理解するには、アドラーだけではなく、エーリッヒ・フロムの言葉にも耳を傾けるといいでしょう。彼はその名もThe Art of Livingつまり「愛の技術」という世界的なベストセラーを出版しています。
たしかに、他者から愛されることはむずかしい。けれども、「他者を愛することは、その何倍もむずかしい課題なのです。」(p.231)
フロムの本は、こちらの『愛するということ』ですね。『自由からの逃走』などを書かれている社会心理学者の人です。
愛するということ新訳版 [ エーリッヒ・フロム ](楽天ブックス)
愛することはむずかしい。それは、他者を愛することもですが、自分を愛することもだと思います。
嫌いな人や苦手な人の愚痴や悪口を、わたしがあまり言わない、書かない理由。いくつかあるのですが。自他一如。たぶん、他人が嫌いな人は、自分が嫌いなのではないでしょうか。他人の悪口を言っている人は、自分に言っている。(ことになる)...
Posted by こばやし ただあき on 2016年2月20日
たぶん、自分を愛していない人、信じていない人は、他人を信じるのはむずかしい。できないことはないかもしれませんが、依存になってしまうかもしれません。この『幸せになる勇気』では、自立がテーマになっています。
「さあ、わたしはこれ以上、あなたの課題に踏み込むことはできません。しかし、もしもアドバイスを求められるとしたなら、こう言うでしょう。「愛し、自立し、人生を選べ」と。」(p.273)
哲人は、こう言います。
他者を愛することが、幸せにつながって、共同体感覚にもつながっている。そういうことですね。
幸せとは何か?『幸せになる勇気』
幸せとは何か?この記事では『幸せになる勇気』で言われている、幸せについては書きません。 ただ、わたしが思っているのとは、少し違っています。おおむね同じではあるのですが。このあたりを知りたい方は、本書を読んでみてください。いろいろと考えさせられることになると思います。
「そしてできれば、アドラーの思想をそのままに継承するのではなく、あなた方の手で更新してください。」
「われわれはアドラーの思想を大切にするからこそ、それを更新していかなければならない。原理主義者になってはならない。」(p.276)
と、哲人は言っています。
「幸せ」は遠くない
わたしは、幸せには、勇気は要らないのではないかと思っています。愛には要るかもしれませんね。嫌われようと思うのにも必要かもしれません。
幸せはどうでしょうか。勇気がなく臆病だと幸せになれないとは、わたしには思えないですし、わたしはそこまで勇気はありませんが、少し違った方法で、幸せに生きていると思えます。勇気が必要と思っている人は、幸せをたぶんよほど大きなことだと思っているのかもしれませんね。
幸せは、遠くにあるわけではないと思います。勇気と言い出すと、遠くにあるようなものと思ってしまうところがあるでしょう。わたしが、幸せになるのに勇気はさほど必要とは思えないのは、幸せは遠くにあると思っていないからかもしれません。
『幸せになる勇気』を読んで、おそらく、わたしもアドラーも同じようなことを考えていたのだろうと思いました。方法やアプローチは違うかもしれませんが、求めていること、目指していることは似ている。そんなことを『幸せになる勇気』を読んで思いました。
アドラーの言葉を知りたい方は、こちらもどうぞ。
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